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日々これ精進

友人が次々と異国に旅立ってゆく。

留学である。

異国の町に溶け込み、

その国の言語を介して文化と思考を学ぶ、

尊い行為である。

紺は生まれ落ちて、記憶にある限りでは、

異国に行ったことは無い。

両親によれば、幼少の頃、

豪州にいったことがあるそうだ。

甚だ怪しいが。

 
 
 

我々は日々、何を考えて生きているだろう。

今日のおかずは何にしようか、

はやくレポートを仕上げなくては、

取引先にどう謝るべきか。

考える内容は人それぞれであろう。

しかし、ひとつだけ、

共通していることがある。

それは、

『 日本語で考えている 』

ということだ。
 
 
 
 
 
 
我々は日本人であるがゆえに、

日本語で思考する。

別の母国語を持つ人間であれば、

その母国語で思考していることだろう。

日本で生まれ、日本で育った人間は、

決して中国語で思考しない。

中国語で伝達しようとは思わないからだ。


 
 
 
人は、伝達を前提として思考する。 
 
 

 
伝達なき思考は存在しない。

 
 
 
 
子供は異国の言葉を覚えるのが速い。

これは、異国という環境に晒されることで、

『 異国語で伝達せねば、相手に伝わらない 』

という認識が働き、

異国語で思考する回路が生成されるためである。

母国語の完成した人間は、

外部の異国語をいったん母国語に置き換え、

思考する。

母国語で思考したことを、

異国語に変換してから伝達する。

いったん母国語という中継点を、

挿まざるを得ないために、

極めて要領の悪い伝達方法となるのである。

 
 
 
 
 
 
しかし、それも最初だけのこと。

常に異国語に晒され、

必要に迫られれば、異国語の回路は、

たとえ母国語が完成したあとであっても、

生成される。

果たして、回路が生成され、

異国語で伝達せざるを得ないとき、

母国語で思考しているだろうか。

 
 

異国語の脳回路が出来上がっているのである。

 
 
 
伝達が異国語を介すのであれば、

思考も当然、異国語であろう。
 
 
 
 
 
異国語を学ぶということは、単に、

人とのコミュニケーションの道具を得るだけの、

雑務ではない。

伝達を目的として異国語を学ぶのなら、

単語だけ馬鹿のように覚えればいい。

しかしそれは違う。

 
 
 

 
伝達方式を新しく得るということは、

新たな思考体系を得るということだ。
 
 
 


 
日本語と英語では、

使用する文法も、

存在する単語数も、

発声の仕方でさえも、

違う。
 
 
 
そのように全く違う体系の言語を、

単一の思考で括ってしまうのは、

愚行だ。
 
 
 
違う体系の言語ならば、

思考もまた、体系から組みなおす必要がある。

 
 
 
 
体系を得るまで達していないのなら、

それは単なる暗記の塊でしかない。

知識として根付かせる、つまり、

新たな思考様式を自らの中に構築する、

それこそが言語学習の目的だと私は思う。

 
 
 
 

他言語を学ぶことで、

自分が何を得ているか、

それに気がつくべきだと私は、

異国語を学ぶすべての人間に言いたい。

得るものは、ひとつではない。

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